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自分の不幸の原因を、すべて「親のせい」「教師のせい」「上司のせい」「社会のせい」にする人がいる。

その行為そのものが「親への信頼」「教師への信頼」「上司への信頼」「社会への信頼」を物語っている。

ここにはテンプレートがある。

1.私はXを信頼した。
2.Xはその信頼に応えなかった。
3.Xは悪であり、私は被害者だ。
4.Xは私に謝罪せよ。

これは「呪いのテンプレート」だ。
なぜなら、Xが謝罪しても、この人は決して幸せにならないから。この人は無限の謝罪を求め続けるから。

世の中には、過激な主張をする人がいる。私はその多くがこのテンプレートにおさまるような気がしてならない。一言で言うなら、

「私は、ごめんなさいしてもらってない!」

という主張だ。誰から?それは、人によって違う。でも、要点は同じ。自分の受けた傷を償え!という主張が根底にあるのだ。

「あいつは・私に・ひどいことをした」

この一言をお守りにして生きている人は多い。何かと言えば、水戸黄門の印籠のようにこれを示す。「私は傷ついている印籠」を示す。寛容な目で見ればかわいそうな人であり、客観的に見れば脅迫者だ。

一つ、言えることがある。誰かを恨んでいる限り、誰かを脅迫している限り、本人が幸せにはならないということ。恨むことで、脅迫することで、自分が幸せになることを遠ざけている。

それを非難しているわけではない。それも一つの生き方だから。でも、人を恨みつつ自分も幸せになりたいというのは無理がある。マイナスに進みつつプラスに進みたいという問題は、解くことは難しいだろう。

いいですか。「誰かを恨む」というのは、「誰かを心の底から恨み恨み恨み続けて生きる」というのは、その相手を、自分の「生涯の伴侶」にするような行為なのです。

自分の人生の貴重な時間を、相手のことを恨んで過ごす。それは、相手のために自分の時間を捧げているようなものです。相手はそれに感謝もしないでしょうけれど。

あなたは、自分の時間をなににつかうか。それは世界の誰もあなたに強制できない。あなたが、あなた一人が決めること。人生を長くても100年。ざっくり言って32,768日。三万日しか、私たちは生きていない。そんな大切な一日一日を、他人を恨むのに使っていいのか?

他人に恨みを晴らす最もいい方法があります。それは、その人の幸福を祈ることです。その人の成功を祈ること。活躍を祈ること。悪いことから身を洗い、良いことに能力を使うように願うこと。それが最善の「恨み節」だと私は思っています。

いやいやいやいや、さすがにそれは無理でしょう。という人には次善の策があります。それはその人のことを忘れること。言い換えれば恨まないこと。自分が持っていると錯覚している「借用書」を破ること。ビリビリビリ。そして、この人とわたしは無関係と宣言すること。それは、次善の策。

結城が考える下策中の下策は、何年も何十年も、ある人を恨み、謝罪の言葉を求め続けること。相手が死んでも、死んでから何年も経っていても、謝罪の言葉を求め続けること。これは、自分の時間を無駄にしているという意味で、下策中の下策。…だけど。

だけどだけど、確かにそうなんだけど。人間は、人間は、そんなに割り切れない。割り切れない。ふと、何かの拍子に、胸をかきむしりつつ、呪詛の言葉を絞り出したくなる。いくら愚かでも、いくら下策でも、そんなの知ったことないわ!と言いつつ、うめくのが人間だ。

しかし。でもね。やっぱり。恨むのはまずい。あいつと同じレベルに落ちてしまう。あなたがそれを求めるなら構わない。誰も止めない。でも、でもね。本当に幸せになりたいなら。恨みから手を離す必要がある。牢獄の鍵を開けるのは自分だ。握りしめた手を開き、鍵を開けるのは、あなた自身しかいない。

自分を負のスパイラルから引っ張り上げるのはあなた自身。自分を牢獄から解き放つのはあなた自身。その第一歩は「相手をゆるす」ことから始まる。自分に不利益をもたらした相手を、絶対に常識的にはゆるせない相手を、あえてゆるす。そこが決定的な一歩になる。

それができるのは、あなただけだから。そして、あなたにはそれができるはず。

結城は、ネットを通して、世界のどこかにいる、私の愛するあなたに向けて、たった一人のあなたに向けて、以上の言葉をお伝えします。お伝えしました。あとは、あなた、次第です。、

そして、いつもの通り、今回の連ツイは以下のURLにまとまります。
http://rentwi.textfile.org/?698418362041311232s
そして、加筆修正ののちに、結城メルマガの読み物としてまとまります。
http://www.hyuki.com/mm/

2016-02-13 (Sat) 17:08:08