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「値は値」という言い回しがあります。バリエーションは多数。「値は値なり」「値は値やね」などなど。要するに「高いものは高いなりに良い。安いものは安いなりに悪い」というニュアンスの表現です。

「値は値」という言い回しは、やや反発を感じる表現ではあります。「安くても良いものはあるよ〜」とか「高いばっかりで品質悪っ!」みたいな。でも、ときどき、確かに「値は値」だと思うことはあります。

たとえば「給料は低いけど、やりがいのある仕事です。でもなぜか、いい人材が集まらないんですよ〜」という人事担当者がいたとしましょう。「あたりまえじゃん!」と思いますよね。「値は値」。いい人材を集めたいのに、給料は低いっておかしくね?

もしも「値は値」という表現を「お金がすべてを決める」と解釈すると、反発を感じます。でも「値は値」というのは「金額というスカラー量は一つの判断基準ではある」と解釈すると、確かにそうかもと思えてきます。

(さっきの「書籍はコスパいい」とやや矛盾するかな?まあいいや)

最近トレーディング(笑)のまねごとをしているので、実感できるのですが、「価格」というのは売る人と買う人がいて初めて決まるものなのです。「コレ」をこの値段で売りたい(そうすれば私はうれしい)という人と、その値段で買いたい(そうすればボクはうれしい)という人がいて価格は決まる。

言い換えるなら、価格は評価。値段は評価。評価に付された数値が値段なのです。「値は値」。

最近ときどき聞く技術者の表現に「札束で殴る」というのがあります。まあ上品な表現ではありませんが、状況は非常に的確。サーバをスケールアップしたいときとか、優秀なエンジニアを引き抜くときに、お金をざんざか使って解決するという話ね。

そういう局面では、お金は技術力に変換できる力だったりすることになりますね。「お金がすべてを解決する」という拝金主義な主張をしているわけではありません。「お金をどのような方向に使うか」は重要な判断であるといいたいのです。

「お金は無条件で良い。まずは金だ金」や「お金は無条件で悪である。清貧に甘んじよ」というのはどちらも偏りすぎ。どちらの発想もお金に縛られている。お金は一つの手段に過ぎません。記憶力、技術力、コミュ力(?)と同じように。とても汎用性の高い手段ではありますけれど。(そして誘惑も多い)。

「値は値(ねはね。ne-wa-ne)」という表現から、思うままに書いてきました。お金は悪いものだと考えるのは偏っているし、お金がすべてだと思うのも偏っている。でも、お金は存在し、それが評価の一つであることは疑いがない。

「いい先生がやってこないんですよね」に対しては「給料を含む待遇が悪いからでは」と思うのは普通の反応だと思います。「いい先生がマジで欲しい」というマジ加減は「評価」です。その評価は給料で表現されるのが普通の感覚だと思います。(あっと、結城自身の話ではないです。一般論ね)。

お金の話をくどくど書くと「守銭奴」とか「お金がすべてなのか」という人がよくいます。それは違います。お金は指標の一つに過ぎません。でも、とても大切な指標です。たとえば、経営者が一瞬で従業員の信用を失うのは「給料の遅配」です。会社が一瞬で信用を失うのは「不渡り」です。いずれもお金。

結城自身は経済にうといし、お金にもうといのですが、「信用を保持するためのお金の意味(給料遅配しておいて信用しろとはいえない)」や、「評価基準の表明としてのお金の意味(安い給料提示して優秀な人材やとえると思うのはおかしい)」には関心があります。

自分の信念で清貧に甘んじるのはもちろん自由です。でもお金を忌避するあまり、もっと大事なことを失わないように注意しなくてならないと思います。「清貧に甘んじているオレかっこいい」というのはいいのかわるいのか。「重要な仕事についているのだから安月給でもいい」というのは正しいのか。

そこにはやはり、健全な「常識」というものも必要なのではないかなあ、と思うのです。

以上、やや微妙な話題ですが「値は値」という表現から思うまま書きました。
すべては一般論であり、誰か個人を皮肉ったり批判しているものではありません。でも、もしも、あなたの感情を逆なですることがあったらごめんなさいm(_ _)m

>「値は値」という表現から思うこと
http://rentwi.textfile.org/?882480910955716608s
結城浩の連ツイ

2017-07-05 (Wed) 15:06:59