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聖書は2000年前から、人はみな罪人(つみびと)だといってますね。クリスチャンの大半は「自分は、一瞬でも目を離したらとんでもなく悪いことをしかねない人間だ」と自分のことを思っているはず… https://twitter.com/ro_ki_/status/885797880643977220

よく「聖書を読んで、教会に行ってる人はいい人」という誤解がありますよね。真逆だから。自分は危うい、自分は少し間違えばとんでもないことをしかねない、と思っているから聖書を読んで、教会に行くの。自分のズレを補正するために。

結城は二十代の頃「教会に行くなんて弱い人間がすることだ。自分では何もできず、ちょっと困ったらとんでもないことをする人間が教会に行くんだ。弱虫だ。強い人間は教会になんか行かない」と言われたことがあります。私は(その通りだ)と思ったけど、何も言わなかった。その通りだと言えばよかった。

ヒトラーを見て「あいつは極悪人だ。私はあれとは違う」と思う人と、「同じ環境で同じ気質を与えられたら私もヒトラーだったかもしれない」と思う人がいる。私は間違いなく後者だ。

そしてこういう連ツイ自身も、ある意味承認欲求の形であり、いやらしい自己卑下の一スタイルでもある。人間はなかなか厄介だね。でも、正直に、その都度好きなことを表明して行くのが結局は最善だと思っている。偽善的な言葉や偽善的な行為が、本当の善なのか偽善なのかは誰にもわからない。

体調が悪いという人がいて、気になるなら「お大事に」というのがいい。頑張ろうと思っている人がいたら「がんばって」と励ますのがいい。失敗して泣いてる人がいたら「お察しします」というか…何も言わずに祈るのがいい。自分の正直な気持ちで動くのがいい。

正直な気持ちで動いて非難されるなら、納得いくから。全力を尽くして失敗したらしょうがないじゃん。良かれと思ったら、思い切りやればいい。人のせいにせず、社会のせいにせず。もしもこの世が、夢と知りせば…なんて言ってる場合ではない。この世は影。私たちは旅人。

Shadow Landsをmax 100年で駆け抜けているのが私たちの毎日なんですから。自分が「絶対こっちだ!」と思ったら全額賭けですよ。愛も、学びも、抵抗も、犠牲も、喜びも。レートを上げて全額ベット!

私が妻にプロポーズしたときには、そういう思いでした。自分にできるありとあらゆることをして、彼女を妻にしたいと思ったから。自分のすべてをベットするのはここしかない!と思いました。そのおかげで、現在「スーパーでジュース買ってきてー」というメールをいただける光栄に毎日浴しているのです。

とても面白いのは、私のとてもとても個人的な経験、極限まで個別的で具体的な経験を通り抜けることで、他の人に届くものがあるということ。自分のすべてをベットする経験は多くの既婚者が感じている。でも、「すべてをベットする」という表現では共感には至れない。

共感に至れるのは、全く違うのに同型な体験を見聞きしたときだけ。個別的に見たら全く違う経験だけど、その本質において俺と私と同じところを通っている!と伝わったなら、「同志よ!」とセッションが生まれる。リンクが張られる。

極端に個人的な表現を通して、いったん極端な一般化を通り抜けて、また個人的な体験につながっていく。一言でいうなら、これが文学である。このつながりがなければ、どんな体験も、どんな言葉も、どんなコミュニティも無力である。

下をくぐれば心理学。上を飛びこせば宗教。でもそんな分類はどうでもよくて、私たちは互いに共感を求めて生きている。例外なく。

今回の連ツイも、やや足を踏み外しながら走り抜けたかも。加筆修正ののちに、結城メルマガの読み物に…なるかしら…

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2017-07-15 (Sat) 16:54:52